「自転車日本一周、美しい家具との出会い」

何かを作る仕事。
夏の北海道で過ごして思ったことは、草木に囲まれているということは、とても気持ちのいいものということだったので、金属やプラスチックではない、天然由来の素材がいい。
ならば木でものを作りたい。
格好いいイメージもあり、家具を造るという方向に進み、日本を回りながら家具産地も見て、何処でやるかも考えよう。

まずは北へ向かい、仙台・岩谷堂箪笥などを見て北海道・旭川へ。
近隣を走っていても、家具工場や材木屋などが目につきました。
生活クラブ生協の先輩から、東川町に住む職業訓練校・木工科を出た方を紹介してもらっていたので、泊めて頂きながら話を聴き、アートクラフト・バウ工房を訪ねました。
そこには、自分の木や家具に対する先入観、イメージを全て打ち砕いてくれた美しい造詣がありました。
家具は、こんなに美しいものなのか、木とはこれほどまでに精密に加工することができるのかと。

当時、職業訓練校で2年制になっていたのは北見と旭川の2校だけでした。
現在は帯広も2年制になっていますが、本州ではほとんどが1年もしくは半年です。
北海道の冬も見てみたかったし、この時点で旭川に来たいと思っていました。
南下して高山、府中、徳島、大川の、いわゆる家具産地や伝統工芸も垣間見ながら走っていましたが、
心はほぼ北海道・旭川に決まっていました。

今になって思うのは、一年をかけて自転車で日本一周するというのは、これも社会からの逃避だったということでしょうか。
走っている間はそれなりにしんどい事も多かったし、もう止めて家の布団でゆっくり眠りたいと思うこともありました。
きつい峠を登りきった時に広がったなんともいえない爽快感と美しい景色、何からも束縛されない自由な感覚、何事も自分で判断し、決定し行動する。
その結果は全て自分に跳ね返ってくる。
何の生産性もなく、ただ走って、見るだけ。
だから自分と向き合う時間だけはいくらでもありました。
「もういいよ・・・。」というくらいに。

きっと、自分を探していたのかもしれませんが、思ったのは、自分なんて探したって見つかるわけは無い。
自分は、自分で作り上げてゆくものだから。
人と会って話を聴き、本を読んで言葉と出会い、吸収しながら選択し、考え続け判断する。

1998年7月、何とか走り切りました。
終わった時の感想は、達成感というより安堵感の方が大きかった気がします。

沖縄で数ヶ月を過ごし屋久島に寄って、鹿児島からあとは3ヶ月で神奈川に向かって走るという頃、きっと疲れもあったのでしょう。
鹿児島空港を見下ろせる高台の公園で、夕方、次々と飛び立つ飛行機を見ていると、突然「あれに乗れば今日中に家の布団で寝られる・・・」
「明日、乗ってしまおう・・」と、急に走りたくなくなってしまいました。

最後まで走りきったモチベーションは、途中で止めたら将来誰かに話すときにその都度、「言い訳をする自分がイヤだった」から。
常に言い訳がついてまわるということが、走っているキツさよりも耐えられないと思ったから。
1周したとウソをついても、自分以外はきっと分からないだろうけど、ウソを吐き続ける自分というのはもっとイヤだった。
誰かに日本一周をしてくれと頼まれたわけでも、お願いされたのでもないのでテキトーにできるはずだが、自分で始めた事だけにいい加減にはできなかった。
それは今の自分にも当てはめることができると思います。