「ガンプラ、鉄道写真、バスケ」

「作る」ということを考えると、そのはじめは小学校2年生くらいからプラモデルを作っていたことを思い出します。
高学年になる頃にはガンダムのプラモデルで、継ぎ目をパテで埋めて、きれいに塗装していたので、友だちから製作を依頼されていたことを思い出しました。
きっと器用ではあったのかも知れません。
また、父親の一眼レフカメラを持ち出して、鉄道写真も撮っていました。これが後に飛行機写真、そして絵本につながりました。
小学校の卒業アルバムには、国鉄職員になりたい、と書いた覚えがあります。
中学生の時はバスケットボールと写真部に入っていました。

高校は神奈川県立藤沢西高校へ入学。
入学する前はずっとバイクに乗りたいと思っていたので、アルバイトをしてバイクを買うんだと決めていたつもりだったのですが、
同じクラスになったメンバーにバスケ希望者が多く、授業が終わったらなんとなく流れで「じゃあ、行くか」という感じで、結局3年間続けました。
練習は非常に厳しく、たくさんいた同期も引退する時には6人になっていました。
最後の大会では神奈川県で3位となり、あとひとつ勝てれば全国大会に行けたのですが、残念ながら及びませんでした。
しかし、やりきったという満足感もあり、完全燃焼したように思います。

中学・高校生の時には全くといっていいほど、将来のことなど考えたことがなかったような気がします。
中学生の時は「鉄道カメラマンになれたらなぁ」と思ったこともありましたが、それはただ好きなことをしていたいだけで
どうしたらなれるのかもわからず、なれるとも思わなかったし、いつの間にか興味も鉄道からバイクに移っていました。

当然ながら職業観なども無く、あったとしたら、「一度会社に入ったら定年まで勤め上げるのだろう」ということぐらいでした。
それを疑問に思うことも無く、それ以外の考え方には触れることもありませんでした。